まごころツアー 8’
Magokoro Tour 8’

久大本線懐かしの客車列車ツアー

 

旅行記
Account of Travels

担当: 藤井 孔明  大渕 文生

 


豊後森にて。左から北方、吉牟田、藤井、大渕、大塚
 日豊本線の大分駅と鹿児島本線の久留米駅を結ぶ久大本線は、JRグループの中で唯一12系客車(旧国鉄急行型客車)が定期運用を持つ非常に珍しい路線です。久大本線の12系客車は、かつては急行「かいもん」や急行「日南」(共に門司港−西鹿児島、「かいもん」は鹿児島本線、「日南」は日豊本線をそれぞれ経由していた。)などで運用されていたものですが、客車列車の廃止に伴い、余剰とっなた時に、大分客車区へ移動になったものなのです。そのため、各編成の大分寄りの車両は当時のグリーン車だったので、全席リクライニングシートに改造されています。また、この12系客車を牽引しているDE10型ディーゼル機関車もJR貨物での運用を除けば唯一定期の旅客列車運用を持つディーゼル機関車であり、こちらも滅多に見ることができなくなった機関車です。僕たち二人は、JR九州が夏休み限定で販売した企画切符「夏休みだ!九州乗り放題切符」を使って久大本線に残る12系に乗る計画を立て、「まごころツアー8」の参加者が帰ってくる日に、顧問の大塚先生とOBの北方先輩の二人(こちらは「青春18きっぷ」)と総勢4人で夏真っ盛りの久大本線へと出発しました。
(1998年8月10日取材、参加者:大塚雅之・北方辰弥・吉牟田智・大渕文生・藤井孔明)

 さて、ここで本文に入る前に、12系客車について説明しておきます。
 12系客車は、1969年に国鉄の波動輸送の一端を担う新鋭車両として登場、最終的には、600両あまりが製造されました。室内冷房を供給し、行き先表示器を動かす電源装置を装備しているので、牽引機を選ばず、電化区間・非電化区間に関わらずどこへでも行くことができます。従来の客車よりも1.3m車体が長くなっていますが、定員は従来の車両と同じになっているのでシートピッチも広く、クロスシートの構造も改良されています。耐用速度は110km/hまで改良され、また客車としては発の電源装置による自動扉(それまでの客車は主に手であける手動扉だった)が採用されました。この様な利点が効を奏し、あの大阪・筑波の2大万国博でも大活躍しました。しかも、折しも時代はジョイフルトレイン全盛期、1985年夏に「ユーロライナー」(欧風展望客車)が誕生してからはジョイフルトレインの改造用タネ車として各地で改造され、「サザンクロス」「TABIJI」「オリエントサルーン」などのすばらしいジョイフルトレインが誕生しました。また、この技術は14系客車の製造時にも活用され、非常に役に立ちました。
 それでは12系客車の説明はこのくらいにして、本文に戻りましょう。

 僕たちは、折尾駅で大塚先生たちと落ち合った後、まず門司港駅に向かいました。わざわざ門司港駅に行って折り返したのには訳があります。それは、門司駅―小森江駅間の留置線に放置されたまま廃車を待っている715系電車を見るためなのです。715系電車は長崎本線での運用を終え、この留置線に放置されているのです。ご存じの通り715系は日本初の寝台電車583系を改造したもので、車体側面に583系の採光窓が残っており、なかなか味のある車両です。583系は宇野先輩や大塚先生が子供の頃から好きな車両だそうで(まごころ旅行記8参照)、改造型の715系も好きだったそうです。大塚先生は、「大金持ちだったら、715系を買い取って庭に置いておくのに。」とおっしゃっていました。なお、715系についての詳しいデータはOBの吉牟田先輩がレポートをまとめているので、興味のある方は「OHORI MODELS」第3号を参考にしてください。
 大分駅のホームに、DE10型機牽引の久留米行客車列車1822レが入線してきました。大塚先生は、鹿児島本線の通勤形電車で見慣れた「タウンシャトル」のヘッドマークがDE10についているのを見て、奇妙に思われたそうです。大分から久留米まで直通する普通列車は1日に2本、そのうち客車列車は13時56分大分発のこの列車のみ(取材当時のデータ、その後1999年3月13日のダイヤ改正によりこの列車は廃止となり、12時57分大分発の1860Dが唯一直通する普通列車となった。)でした。13時56分、1822レはホームをゆっくりと出発しました。14時25分、列車は大分から5駅目の向之原駅にさしかかりました。実はこの日、この近くの踏切で大型のトレーラーと大分発由布院行きのYDC125型気動車が接触事故を起こし、12時頃まで線路が不通になっていたので、どうなっているのかと目を凝らして車窓の光景を見ていましたが、全くその痕跡はわからず、いつの間にか列車は向之原駅に着いていました。

豊後森駅構内の扇形機関庫
 それからしばらくたった15時59分、列車は豊後森駅に到着しました。出発は16時40分です。なぜ停車時間が41分もとってあるのかと言うと、一つはこの先には日田まで行き違いできる施設がないので、「ゆふいんの森3号」と行き違うためだそうです、もう一つは、この駅の近くに大分県の県立高校があり、その高校の学生のために高校の授業が終わるまで停車時間をとっている(当時、次の上り列車は17時51分)のだそうです。普段は日田方面から帰ってくる学生と日田方面へ帰っていく学生がこの駅を境にホームを行き交うわけです。しかし、この日は夏休み。当たり前ですがホームは閑散としており、学生は一人も歩いていませんでした。そして、豊後森といえばあの有名な扇形機関庫の残る数少ない駅です。12線はあろうかと言うここの機関庫は、客車列車全盛の頃の名残を味わうことができます。しかし、かなり老朽化が進んでおり、いつ撤去されるかわからないので、できる限りはやめに目に焼き付けておくことをおすすめします。
 ホームにびっしりと草花が生い残った北山田、杉河内の駅を過ぎ、17時40分、列車は天ヶ瀬に着きました。天ヶ瀬温泉の中心部に位置するこの駅は、真上を行く国道バイパスの赤い橋桁の影響で日陰になり、まるで道路に駅がつぶされているようで現代のモータリゼーション化したニッポンの現状を生き写しにしているような印象を受けます。それから、林木立の中に取り残されたようにたたずむ豊後中川の駅を通り過ぎると、列車は日田に到着しました。キハ58の快速「日田」など日田彦山線の一部の列車が乗り入れているこの駅には、長大編成列車廃止後の今なおその当時の側線が残っている珍しい駅です。大分県内で最後の駅であり、日田彦山線との正式な分岐点である夜明を出発する頃にはもう日も暮れ始めていました。御井では行き違いをする予定だった「ゆふ5号」が遅れ、帰りの鹿児島本線の列車に乗り遅れるのではと心配しましたが、車掌さんのおかげで乗り遅れることもなく、僕たちは無事に帰路に就くことができました。
 なお、付け加えておきますと、JR九州では今年度中に久大本線と筑豊本線の客車列車を全廃すると言う話があるそうなので、お早めのご乗車をおすすめいたします。

威容を誇るDE10と12系客車。この姿が見られるのも後わずか…
<参考文献>
・大分合同新聞1998年8月9日付夕刊
・JR1997全車両ハンドブック(ネコ・パブリッシング)
・旅と鉄道97秋の号(鉄道ジャーナル社)
・JR九州(保育社)
  
<その他の参考資料>
・福岡大学鉄道研究愛好会1998年七隈祭掲示物より
  
<久大本線を走る12系・50系客車>
・スハフ12 44,59,63,67,71,84
・オハフ13 21,70
・オハ 12 85,86,137,138,212,223,225,1288,1289
・オハフ50 1276,1277,1278
・オハ 50 1089,1180
   
<客車を改造した気動車の例>
・キハ141形(50系51形改造)
JR北海道の札招線にて活躍中、客室部分の外観は客車時代のままで、先頭部だけ気動車のような形をしている。
・キハ33形(50系50形改造)
JR西日本の境線にて活躍中。
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