模型部伊藤勇人(旅行当時1年)

  前書き
 こんにちは、模型部1年、伊藤勇人です。鉄道部門でございます。この夏、毎年恒例のまごころツアーで、茨城方面に行ってまいりました。メンバーは、大塚先生、上條先輩、山口先輩、日下部、自分の5人です。使用した切符はもちろん青春18きっぷ。これにより、茨城県内は新幹線とケーブルカー・ロープウェイを残し、全線完乗いたしました。この計画は、前々からの悲願だったということだそうで、それに携われただけでもうれしく思います。また、もう一つの悲願の山口県防府の大平山ロープウェイは、また、行くことができず、本当にざんねんでした。では、本編に参ります。


一番お世話になった?E531系。
 1日目〜8月2日。

 私は二日市6時42分の列車に乗り、博多駅に。乗ったのは811系という、なんかフツーのお出かけみたいな感じでした。そして、博多駅に到着。既に他の参加者は改札のところで集合していました。僕はとりあえず、次の列車の先頭付近で待っていました。しばらくして皆さんが後ろの方にいるとのことなので、移動しました。それから、乗る列車が到着。7時23分、小倉行き。

813系の9両編成でした。車内はなかなかの混雑で、あまり旅立ち向きの状態ではなかったです。しばらくして小倉に到着。ここで乗り換え。
415系のロングシートで、車内リニューアル車でした。さて、この区間の見物は、何と言っても関門トンネルですよ。
門司駅を過ぎてすぐ、電灯が一度消えて、またつきました。そして、トンネルを抜けたところは本州…、ではないらしく、彦島という島だそうで。下関駅までのどこかで本州に入りました。(笑)この区間、左手にJR西日本の車両基地、右手にJR貨物の車両基地があります。
 下関に到着。 この駅にしては珍しく、対面式の乗換えではありませんでした。車両は117系。原色。4両ということ以外は基本登場時そのままなのかなと思ったりもしました。車内は途中駅で降りる人も多いのですが、乗る人もなかなか多いものでした。また、駅間が長すぎるのを強く感じましたね、窓の外を見ると、何ともごりっぱな道路がたくさん…。さすがは山口県、歴代総理大臣が最も多い県、安倍総理大臣(当時)のお膝元。これでは皆、車使いますね…。

話をもどして、この車両の中で日下部が持ってきたニンテンドーDSのご当地クイズとやらを皆でやってみました。はっきり言って難しいです。
新山口で乗り換え。

115系2000番台(リニューアル車)、4両の瀬野行き。 転換クロスで、座席がやわらかく、乗り心地がすばらしかった。ただ、車端の上の荷物置き場が、あまり広くなかったので、そこに座った自分たちの荷物の置き場には困りました。あ、もちろん車端部も柔らかいボックスシートです。この区間、海が非常に近い。景色がいいところももちろんありましたが、堤防が凄く高い区間もありました。
徳山で18分の長時間停車、
本来はこの旅、すんなりここまで来てはいけないのです。
予定では防府の大平山ロープウェイに乗車し、模型部として山口県内の鉄道路線を完乗するはずでした。しかし、何日か前の日のこと、私(伊藤)が防府市の大平山ロープウェイのサイトを見たところ、水曜日・木曜日運休との注意書きが…。今日、大塚先生が電話で確認したところ、誰も電話に出ず、これは運休との判断になり、このまま徳山に来てしまったわけです。
ここで降りると、なんと雨が降っていました。実はこの日、西から台風が近づいていて、実際には風も相当ありました。でも、なんともないかのように走る列車に力強さを感じました。
この駅では岩徳線のキハ40系などが停車していました。
長い停車時間の後、発車。この車両、よく揺れます。レールが悪いのかはわかりませんが、けっこうつらいものがありますよ。 そして岩国に到着。ここで乗り換え。20分くらい時間があるので、錦川鉄道線などを私は撮影しました。この間に腹ごしらえ・買出しする人もいました。
ところで、さっきまで乗ってきた瀬野行きにこのまま乗らないのですかという質問が聞こえてきそうですが、瀬野行きは各駅停車、ここで乗り換える糸崎行きは快速。という違いがあり、また、どちらにのっても最終的には瀬野でこの快速に乗車するということになるので、いろいろできる余裕のある快速に乗る、ということにしたわけです。
この車両も115系の2000番台で、快適でした。また、車両番号がなんと2007!!!!旅行した年も2007年、縁起がとてもいいではないですか!!!!なんか感動しましたね。 宮島口から五日市までノンストップです。車内もけっこうな混雑でした。また、この区間で、広島電鉄の車両をいろいろ見ることができました。広電の名物「グリーンムーバー」もいました。僕にとって、ぜひとも撮影したい車両の一つですが、それはまた、いつか。広島から瀬野までまたノンストップです。瀬野で岩国まで乗った列車を横目に出発。山陽本線最大の難所、瀬野八を登ります。この区間は電気機関車の大半は補助機関車を必要としています。ここ専用のEF67系を見ることもできました。また、電車も少し特殊なブレーキがついた車両しか入ることができず、広島の103系の運用は瀬野までとなっております。この区間、向かって右側に道路が併走している区間もあり、坂が急な以外はいたって普通な気がしてなりませんでした。でも、坂は本当に急です。自転車では登れないですね。八本松に停車し、西条駅では広島スカイレールの高架が見えました。ロープウェイに似た感じで、モノレールにも見えるとわけがわからない路線です。
この列車のなかで、私は寝顔を日下部に撮影された上にそれを私にメールで送りつけてきました。眠かったので何もしませんでしたが、この恨みは一生忘れないことでしょう(笑)
そうこうしているうちに、糸崎に到着。 ここで、岡山行きに乗り換え。 115系のリニューアル車と国鉄色。

自分たちは国鉄色に乗りました。しかし、昔からのボックスシートの車両です。さっきまでの快適な車内になれた自分たちは、この車両の座席の硬さに苦しみました。 途中駅でのアナウンス。「ただいま、台風5号が接近中です。お早めにご帰宅ください。」 大丈夫なのか、この旅行?

そうこうしているうちに岡山に到着。風が強くなっています。
乗り換え時間に余裕があったので撮影しました。ここでも私たちを怖がらせる驚きの放送が…。 「瀬戸大橋線は岡山児島間で折返し運転を行っております。」 瀬戸大橋わたれないのかい!!まあ、海の上だから仕方ないとはいえ・・・。自分たちは関係ないのですがね。
もう一つ。 「中国四国九州方面へのご旅行は取りやめになられますよう、よろしくお願いします。」 いよいよ近づいているではないですか。やばいなと考えつつ乗り換えます。 相生行き、115系の3扉車と2扉車の混結。出発してすぐの車両基地に四国行きの特急「南風」の編成がいました。そこそこな混雑でした。
相生に到着。ここで新快速に乗り換えです。
新快速の始発は赤穂線、播州赤穂。この4両にのっていた大半の人が乗り換えます。 新快速が入線、目の前にボックスが一つ丸々空いていました!!ここに狙いを絞り、乗り込みました。一番前に並んでいた日下部にここの確保を大塚先生が指令されました。しかし、日下部はまさかの反対側に歩いて向かい…ここの確保失敗。みんなばらばらに座ることに。
ここの時点で立ち席が…、ここからの混雑はどうなるんだろう。 ただ、混雑はひどいとはいえこの電車、加速はいい、速い、ゆれない、静か。しかも放送が丁寧。なかなかよろしいようで。 混雑については、停車駅全てで人が増える一方で。緩急接続のよさもあり、マジで込む。 速さはやはり化け物で、すれ違う列車が何なのかさっぱりわからないほどです。西明石からは複々線によって、なおさら速くなっていきます。普通列車や一部区間で横を走る山陽電車などをどんどん追い越していきます。また、途中で見た明石海峡大橋は本当にでかい。でかすぎます。列車は神戸市内を通過中、つか、8両編成の運用じゃなーーーーーーい!!!!!

大阪に到着。 ここで晩御飯を食べに行きました。大塚先生はOB橋本先輩と飲みに、自分たちは大阪駅から御堂筋をわたったところにある食堂街で食べました。お好み焼き屋です。自分はねぎ焼きを食べました。小さなお店でしたが、味はおいしく、大阪に行けばまたそこに行こうと誓いました。その後、集合時間まで撮影。
撮影後、米原行き新快速に乗車。 京都までOBの橋本先輩と一緒に移動しました。京都周辺までは結構人がいましたが、その後はあまり混まず、野洲からはかなりの余裕な車内になりました。もちろん、速さは相変わらずです。夜はますます更けていきます。
米原で乗り換え。 ここからJR東海管内に入ります。6両で座れず、先頭車に立ちました。山を越えて行きます。車内はどう見ても、「ムーンライトながら」乗車組ばかりでした。

大垣に到着しました。ここで、ムーンライトながらに乗換えなのですが、入線までは時間があります。そのため、交代でコンビニに買いに行ったり撮影したりしました。自分は近鉄養老線・樽見鉄道線のホームにも行きました。今考えると、近鉄大垣駅の入場券は、レアになってます。(養老鉄道に転換のため) そして、今晩の宿、ムーンライトながらが到着。乗る直前指定席券のことで行き違いが発生していました。旅行会社の手違いで、無料で発行されたのに、これは無効とのことだそうで。結局指定料金を追加して払いました。 車内は特急車ということもあり、なかなかの設備です。部員で、トランプをした後、豊橋到着前に私は寝ました。日下部は徹夜していたそうで。。。


2日目〜8月3日〜
私が目覚めたのは保土ヶ谷のあたり。朝の景色はすばらしかったですね。 東京に5時5分到着。首都東京駅といえども、まだ店がどこも開いていなかったんですよね。私たちはそのまま地下総武ホームに移動し、総武快速線に乗ります。

千葉行き、15両!!!5時台の電車なのにですよ。しかも途中駅でそこそこ人が乗ってくるという、立ち客はさすがにいないですが、座席定員の7割は埋まっていたような。
千葉に到着。 横にはなんと国鉄型車両の113系が!!もうほとんど残っていないイメージがあったので、こんな街中で出会えるとは思っていませんでした。他、あずさのE257系、しおさいのE257系500番台など、いろいろな車両がいましたね。ここで朝飯を調達し、211系5両の成田線の銚子行き電車に乗ります。車内はそこそこの混雑で、途中駅からの乗車も多かったのですが、佐倉、成田、私たちが下車した佐原などでの入れ替えが結構ありました。

そして、成田より先の単線区間の途中駅では行き違いが非常に多く、成田ではその長い停車時刻を利用し、成田エクスプレスの撮影もできました。また、長い停車時間の駅では、ドアが半自動となっていました。
佐原に到着。 この駅はここら辺の地域の中心駅であるらしく、かなり多くの人、特に高校生が降りていきました。また、跨線橋が非常に狭く、大荷物の自分たちにとってはかなりの苦痛でした。 ここで、ひとまず記念撮影。

切り欠き式の0番乗り場からの鹿島線の電車と共に。これに乗り鹿島神宮へ。国鉄型がたくさんいるというのはなんかうれしいですね。 鹿島線の線路は高架線中心で、豪華なものでした。さすが鉄建公団がつくっただけありますよ。利根川の鉄橋など、すばらしいものばかりでした。田んぼの中を高架で通過。
鹿島神宮に到着。 ここで鹿島臨海鉄道の列車に乗り換え。

またもや記念撮影。それのことばかりを考えたので、鹿島臨海鉄道の車両の単独での撮影をすっかりわすれてしまいました。113系とのダブルは撮ったんですけどね…。 で、北鹿島貨物駅到着。ここで鹿島線全線乗車達成。この駅は別名鹿島サッカースタジアム駅で、サッカーの試合の時だけ営業というなかなか有り得ない駅。駅の周辺は住宅地なので、通年営業にしていただきたい。 長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅を通過。駅名標がたくさんの文字を入れるのをがんばっていました。途中鹿島沖駅で、「マリンライナーはまなす」と離合。DX車であるのはご存知の通り。中はよく見えなかったですが、きっと何か素晴らしいのでしょう。 大洗で結構人が多く乗車。この路線も高架中心であり、田んぼにふさわしくない高架を列車は走ります。途中もの凄い雨が降ってきました、台風の影響なのでしょうか。
そして、水戸に到着。 鹿島臨海鉄道線全線乗車達成!! ホームにフレッシュひたちの形のコンビニが。なかなかおもしろい光景でした。 この駅の7・8番ホームには中間改札があります。上野行き特急が7番に、鹿島臨海が8番に止まります。 そして、常磐線の上野行きに乗車。E531系の10両です。 車内はそこそこの混雑。座席が綺麗に埋まるくらいです。 友部で下車し、水戸線の電車に乗り換え。

415系1500番台。弱冷房車に乗ってしまったのですが、はっきり言って、暑すぎです。真夏だから、暑さは仕方ないですが、こんなに暑いものなのでようか?車内はロングシートで、寝ていたこともあり、記憶があまり無いんです。ただ、暑い。(笑)
下館に到着。 駅前にいろんなお店と市役所の分所が同じ建物がありました。ただ、外の案内にあったスーパーはなぜか存在せず、仕方なく、駅の中のコンビニでお昼を調達しました。NEWDAYSという、駅の中専門のコンビニですが、首都圏の駅の中のコンビニは大半これのため、いい加減飽きてきますよ。

真岡鐵道ホームに移動。この下館駅はJR水戸線、真岡鉄道、関東鉄道常総線が集まるジャンクションの駅で、ホームが3つ。0番が真岡鐵道、1・2・3番がJR、4・5番が関東鉄道線の乗り場です。ここで記念撮影をして乗り込みます。車両自体は、3セク線でしょっちゅう見かけるような形ですが、色がこれまた派手という印象が…。車内はきれいでした。
真岡に到着。

この駅、駅舎がSLの形をしていて、でかい。比較用に?キハ20系も止まっていています。横はちゃっかり動輪。この駅、市の施設と本社もかねているらしいんです。構内には車両基地もあって、真岡鉄道の中枢ですよ。貨車も止まっていたり。うどん屋もあったので、下館ではなく真岡で昼飯がぜったいよかったと後悔。まあ、飲み物は購入しました。そして、裏側にある、グッズ売り場に。汽笛の笛や、SLが写るペンライト、カレンダーなどがありました。僕はそのペンライトを購入。先生は笛を購入。文化祭の開始の合図になったとのこと。
そして、茂木(もてぎ)に移動。 真岡鉄道全線乗車達成!! 私たちが着いた頃、側線にSLが既にいました。


C12、線路の規格が低いところでも走れるように軸重が非常に軽いSL。日本各地で活躍した車両です。ローカル線で非常に走りやすいため、SLの保存運転が多い車種の一つです。 この車両はC12の66番。客車は50系。冷房はないのですが、決して古い車両ではないです。しかし、車両自体はあまり残ってないのです。理由はもちろん、JR化後の客車列車の廃止ということですね。以前話題になった筑豊の最後の客車列車はこの50系が使われていて、そう、レッドトレインでございます。ここで使われている車両は、色自体は塗り替えられているけれども、オリジナルに近いのではないかと私は考えます。(オリジナルに乗ったことが無いため詳しいことは知りません) 横にはサボがかけられていました。写真を見ていただければ分かると思いますが、大塚先生は、やけにはしゃいでいました。そして出発。客車なので、発車・走行音が静か。車内は想像以上の空気輸送。一人一ボックス使えました。風が強くなっていました。気づいたら寝ていました。この私。のどが痛くなっていました。 気づいたら、下館直前になっていて、日下部が起こしてくれたらしいのですが、ちょっと扇子でたたいたくらいではおきなかったこの私。
下館に到着。 私、直前に目覚めたため寝ぼけていました。 階段を登っているときにボストンバックの存在を忘れていたことに気づき。急いで取りにいきました。そして、関東鉄道ホームで切符を買った後、左側にキハ30系が!!ここではキハ100系と名乗っているらしいのですが、どこからどう見ても旧国鉄のキハ30です。無論、あまりの感動で撮影しようとして、乗る予定だった横のホームのDC(ディーゼルカー)に荷物を置き、写真撮影。その途中、なんか聞き覚えのある音が…。これはDCの発車の音ではないか!!見ると乗る予定だった横の車両がゆっくり動き出していました。私たちが「ちょっと待って」って言うのを運転士さんには聞こえるはずもなく、5人分の荷物を乗せたDCは下館駅を定刻で出発していきました。

仕方ないので駅員さんに相談しますと、次の有人駅は6つ先の下妻駅で、そこで荷物を預かってもらえるとのことでした。仕方が無いので撮影。貴重品は各自持っていましたので、それだけは安心でした。そして、このキハ102に乗車。1両編成で、無冷房で扇風機搭載です。読みにくい駅名が多くありました。また、行き違い駅などの線路が合流するところのポイントで、反対側になってても普通に通過しました。スプリングポイントみたいな。やつでしょうか 下妻に到着。無事全員の荷物がありました。これで安心。
水海道で乗り換え。1両のキハ100から2両のキハ2000に変わりました。これには冷房が普通にありました。ちなみにここからは非電化複線という日本でも珍しい区間です。そこそこ人が乗っています。乗り合わせた中学生の名札が黄色でフルネームという素晴らしい(?)ものでした。なんか中学にもなってフルネームというのは恥ずかしいかな。

そうこうしているうちに取手に到着。 この町に今晩の宿のホテルがあるのですが、常磐線に乗ります。E531系の15両編成です。次の藤代までの間にデッドセクションがあるはずなのに電灯が落ちませんでした。新型だからでしょうか? 駅間が非常に長いため、一駅当たりで降りる人が非常に多いです。
佐貫(さぬき)に到着。 ここで関東鉄道龍ヶ崎線に乗り換え。 いかにもという感じの乗り換え駅です。橋上駅舎の階段を下りたすぐそこに龍ヶ崎線乗り場がありました。ホームは1面1線。龍ヶ崎駅まで210円の旅です。運転台が前も後ろもこの駅のホーム側といいますか、全駅のホーム側にありました。といいますのも、この路線。所属は3両。駅も佐貫、入地、龍ヶ崎の3駅。というミニ路線なのであります。ということで、この路線の車両も都合がいいように作られているというわけです。 発車。とはいえ、入地までの駅間がかなりありました。入地はいかにもという田舎の駅。片面ホームの棒線駅でした。 そして、龍ヶ崎に到着。関東鉄道全線乗車達成!!ここは街中ですが、こじんまりとした駅でした。そして、同じ車両で折り返しました。

佐貫で乗り換えて取手に到着。 この駅の東口側にホテルがありました。西口はビルと一体となった大きな駅という印象ですが、東口はごくごく普通の高架駅という印象でした。 ホテルに荷物を置き、町を歩いて駅の近くのお店に入りました。もちろん、晩御飯。この日の取手の町は浴衣をきた人が多かった。お祭りか何かでしょうか。私たちは定食みたいなのを食べたのですが、これがまたおいしく、満足。店を後にして、ローソンで夜食や翌日の朝食を購入して部屋に戻りました。 部屋では私は報道ステーションなんかを見ていました。11時半ごろ就寝。 ちなみに部屋割りは、3階に大塚先生単独の部屋と山口先輩・上條先輩の部屋。4階に日下部と私の部屋。

3日目〜8月4日〜
E531系の10両。勝田行き。6時台なのに、なかなかの混雑。ちょうど水戸のラッシュにかぶる時間のようですが、土曜なので、セーフです。
水戸に到着。 スーパーひたちなんかが通過していきました。また、水郡線のキハE130系とキハ110系の混結編成が走ってもしていました。今考えれば、かなりレアな光景でした。 そして乗車。E501系の10両編成いわき行き。

これは10両の運用にふさわしいだろうか?いやふさわしくない!!5両で十分です。まあ、東日本はこの10両+5両の編成であるE501系を130km/h運転のためのE531系で上野から追い払いましたから、この車両が余って仕方が無いんですよね。 乗ってから気づいたのですが、この車両、京急2100系なんかと同じ、通称ドレミファインバーターを装備しているんです。この独特な音階をぜひともお試しください。 街中だったりそうでなかったりを繰り返す車窓です。日立では工場が多くあったり、高萩周辺からは海が見えたりしていました。
国境のトンネルを抜けて勿来(なこそ)に到着。 ここは福島県。この旅は茨城県の乗り潰しを目的としているため、ここで折り返します。 勿来の駅構内には415系が留置されていました。中には1500番台と鋼製車の混結編成など、さまざまいました。たぶん、廃車待ちなのでしょうか。1500番代はいくらなんでももったいない気がします。 駅舎は勿来の関をイメージしたような建物で、海が近くにありました。 そして折り返し。415系1500番代の4両。 スーパーひたちに大津港で追い越されました。この時点で6分遅れとのこと。常陸多賀ではフレッシュひたちに追い越されました。
大甕(おおみか)に到着。 この駅は日立電鉄が分岐していた駅。日立電鉄のホーム跡みたいな感じの場所は今駐車場になっていました。時間があるので、飲み物を買うなりちょっと休憩。そしてバスがやってくる。このバスは俗にいう電車代行バスで、日立電鉄が走っていたところに沿って常北大田方面に行きます。なんとこのバス、暑いと思ったら冷房が効かないとのこと。仕方なく窓を開けてどうにか暑さをしのぎました。まあ、経営がいろいろとたいへんなのでしょう。また、床がかなり高いと感じました。まあ、古いバスなら仕方ないのでしょうか。
そして出発。まだ廃線して数年なので、ところどころ線路っぽいところを発見できました。踏切みたいなところも通過しましたし。また、このバスは高台の住宅地も通りました。きっと電車がよれなかったような。途中での乗降は決して多くなく、多くのバス停を通過していきました。


大田駅前に到着。 今、日立電鉄バスの待合室となっている建物は元々、日立電鉄の電車が発着していた駅舎なんです。裏側には駅の跡地に解体されたものや、バラストが無造作においてありました。寂しさを感じました。鉄道線乗車券・回数券売り場の表示がここが鉄道の駅だったということを示すように思えます。また、旧駅舎全景の写真の右に見える凸凹注意の看板はきっと、踏み切り注意のマークだったんでしょうね。 この建物の向かいにはJR常陸太田駅。 水郡線の支線の終点。少しして改札が始まり、列車が到着しました。キハE130系。2両ワンマン。上菅谷行き。車内の座席は全て埋まりました。新車だけあって、車内はきれいです。2+1のクロスシートでした。また、半自動のドアになっていました。 そして出発。 かなりの加速のよさで、JR九州のキハ200系以上です。 また、駅間が田舎の路線にしては短く、無人駅ばかりながら、人が途中駅でそこそこ乗ってきました。
少々してこの列車の終点上菅谷駅に到着。2面3線の駅構内で、そこまで広くなかったのですが、乗り換え客で水戸行きの片面ホームが満員になりました。それ以上に、暑かった〜。 そして、常陸大子方面からの普通列車が到着。同じキハE130系の水戸行き。2両。

この列車自体にも多くの人が乗っていたのですが、この乗り換え客が乗ってかなりの混雑になりました。2両の運用ではないです。確実に。 そしてまた、駅間が短く、動いては止まってを繰り返していきました。そして、途中からの乗車も多いのですが、ワンマンのため、1両目に乗る人が固まっていました。そのため、2両目の私たちのところで乗客は増えなかったのですが、やはり混みました。
水戸に到着。 勝田に移動し、茨城交通湊線に乗りかえ。 この勝田駅には415系や、ジョイフルトレインなども留置してありました。1日乗車券を購入して、乗車。 田畑が多く、各駅の乗降もそんなに多くありませんでしたが、那珂湊ではけっこうまとまった乗降があった記憶があります。この、那珂湊駅には車庫があるらしく、旧型車が多く留置されていて、かなり昔のステンレス車もいました。撮影できなかったのが残念ですが…。
阿字ヶ浦に到着。

ここで記念撮影。そのままのんびり過ごしました。かなりひなびた駅で、待合室に冷房はありませんでした。奥の方にはまた、旧型車が留置されていました。給水塔などもありました。そのまま同じ車両で勝田に戻りました。
勝田で乗り換え。ここでの乗り換え時間が短く、走りました。友部で乗り換えて、また、水戸線に乗りました。今度は終点まで。大半寝ていたため記憶がありませんが、デットセクションは小山の手前にあったらしいです。
小山に到着。けっこう広い駅です。 東北本線に乗り換え。快速国府津行き。湘南新宿ライン。E231系の15両編成。

15両なだけはありまして、余裕で座れました。古河・久喜の周辺では山の中っぽい感じの場所も走りました。ちなみに、古河は東北本線で唯一茨城県にあります。 大宮からは京浜東北線をバンバン追い抜いていきました。
赤羽に到着。 東武のスペーシアが横を通過。スペーシアきぬがわかスペーシア日光でしょうね。あまりに突然だったため、撮影ができず・・・。 そして、高崎線電車で上野に移動。ここの構内にある本屋で時刻表を購入して(私のみ)、常磐線快速に乗車。北千住まで乗る。E231系です。 そして地下鉄千代田線ホームに行く。改札を全く通らず地下ホームにいけました。そしてメトロの車両を2本見送って、右の203系に乗車。この車両はE233系の常磐線緩行仕様が入り次第引退とのことです。乗るなら今のうち。ちなみにこの車両、加速がよかった。私の聞いた話では音に違いがあるとのことでしたが、大して変わりなかった気が…。
松戸で乗り換え。(ここで撮影)

新京成の電車が到着していました。ここか、柏かで晩御飯を食べようかと話していたのですが、この日、松戸市内、花火大会だそうでかなりの人だったため断念。とりあえず、快速で取手まで戻り、取手駅前のラーメン屋に行きました。餃子も食べました。おいしかった。そしてまた、ローソンで買い物をして、ホテルに戻り、昨日みたいな感じで寝ました。

4日目〜8月5日〜
この日は関東の最終日。 まず、土浦まで。E531系の前5両勝田行き、後10両土浦止まり、というなんかへんな運用でした。 土浦でバスに乗りかえ。

土浦の町は、至って普通の地方都市という印象でした。車内はまあまあというのが一番いいくらいの混雑でした。広くきれいな道を通ったり、団地の脇の決して広いとはいえない道を通ったりして、つくばセンターに到着しました。自分は行き先がつくばセンターと書いているのを次はつくばセンターと勘違いして停車のボタンを押してしまいました。反省。 つくばはきれいなところでした。しかし、時間が無いので、この地下にあるつくばエクスプレスのホームに入りました。私はパスネットを購入し、それを使って、切符を買いました。二度手間かもしれませんが、こだわりです。(笑) 区間快速秋葉原行き。

6両で、3つ扉です。ホームドアとホームギリギリに止まる電車のため撮影しにくい路線です。日曜の午前の都心行き。かなりの混雑でした。しかし、高架区間でのスピードはかなりのもので、130kmを体験してました。しかし、流山や都内の地下区間では速度はかなり落ちました。
秋葉原に到着。 この、地下の駅はかなりの広さでした。正しく言えば、長さ? それから、東京駅に向かいコインロッカーに荷物を置きました。ご存知、東京駅のロッカーの数は、半端ないのですが、使われているロッカーの多いこと多いこと。空きをみつけるのも大変でした。 そして、山口先輩と別れ、鉄道部門は1・2番乗り場へ。このホームは他のホームのまた上の3階にあります。この事情はかなりややこしいので、私は説明しません。上って少し経ったら、201系が入ってきました。しかも、折り返し、中央特快となる電車ですよ。撮影の後、迷わず乗車しました。まもなく、この車両は引退ということです。これをもって、一色で塗られた東京圏のJRは京葉・武蔵野線の、数が多くない201系を除き、なくなります。さびしい限りです。

新宿までは、東京の中心部とは思えない緑の中を走ります。トンネルもありました。不思議な都市、東京。 チョッパ制御がどんなものなのかはよく知りませんが、音の違いはわかりました。新宿を過ぎて、中野、三鷹、立川と進みます。うわさの開かずの踏み切りらしき踏切も通りました。立川の利用者がやけに多かった記憶があります。また、すれ違う列車が沢山ありました。
八王子到着。 横浜線乗り換えです。横浜線ホームは少し離れていて、そこから撮影する中央線電車の配置が非常にいいものでした。快速列車に乗車。10両編成で、町田、長津田での乗車を多く感じました。というか、寝ていました。
横浜に到着。 みなとみらい線に乗車。 東急新5000系でした。数分で、終点元町・中華街に。本来の東急5000系といえば、あの、青ガエルという通称を持つ、あの車両なのですが、まあ、それは置いといて。JRのE231系を基本に作られたこの、新5000系。まあ、これといって細かい特徴は無かったですね。元町・中華街に仮面ライダーのラッピング車があったくらいでしょうか。
そして、横浜中華街へ。 とりあえず、門の前での撮影。ここで、他の観光客の方に全員写った写真を撮っていただきました。ありがとうございました。まず、近くにあった店で肉まんを食べました。1個70円とかそのくらいで、なかなかの味でした。 そして、先生と生徒3人に分かれ、昼食。僕たちはごはんおかわり自由の店に入りました。700円、850円、1200円の設定があり、私は、700円のマーボー豆腐セットを食べました。おいしかった。もちろん、ごはんのおかわりはさせていただきました。満足。ただ、肉まんを先に食べたので、その分、あまり食べられなかったというのが、後悔。 そして、再度みなとみらい線に乗車。乗る時に大塚先生と分かれます。先生は桜木町の方に行くために。 車両は9000系。僕の大好きな車両です。ステンレスの感じがまさしく東急で、均整のとれた感じがたまらなくいいんです。

僕たちは横浜で京急に乗り換え。 1本、1500系の快速特急が来たけど、見逃して、次の快特に。

2100系なので、乗車。ブルースカイトレインでした。前8両泉岳寺行き。後ろ4両羽田空港行き。あの、ドレミファインバーターというやつでしたよ。もちろん、前を見つつ乗車。120kmですよ。加速も良い。普通電車を追い越すのも気分がいい。川崎で、後ろの4両を切り離すのもあっという間ですよ。ただ、品川の手前でかなりゆっくりになりましたが。満足。これからもこの、スピードを大切してもらいたいものです。このまま泉岳寺まで乗ります。すぐに到着。向かいに都営車の高砂行きがいましたが、スルー。反対のホームに北総車がいたので撮影後、京成車の快速、佐倉行きに乗車。都営区間は予想外に短かった。そして、押上から青砥はノンストップ。そして、高砂へ。 ここで撮影アンド撮影。でも、大半は京成車だったのが、ちょっと残念。上條先輩は寝ていました。 そして、普通の特急で日暮里に向かいます。 日暮里では工事中でホームが狭かった。ただ、出るのが遅くなった分次の列車であるスカイライナーに気づくことができました。

無論、撮影。ありがとう一億人ステッカーがありました。
そして、京浜東北線で秋葉原へ。 駅の中はきれいなんですが、外に出ると、うわー秋葉だ〜。みたいな雰囲気を醸し出しています。メイドさんがいます。ど派手な看板があります。なんかようわからない人もおります。とりあえず、なんか凄い町ですね。日曜は歩行者天国というのも。

とりあえず、歩きました。まず、石丸電気に入り、なんかの機械で遊んでみたり、そのあとぶらぶら。当ても無く歩いてPC部品を見てみたり、鉄道模型屋にも入りました。レールがヨドバシより安い!!!上條先輩はMP3みたいなのを購入。ここまで別行動だった山口先輩はものすごい量のものを買っています。大塚先生は先生の友人と共に現れ、秋葉原に模型部集合。 なんか、路上で活動しているアイドルを日下部は撮影していた。 まあ、そんなこんなで7時くらいになりました。暗くもなってきたので、集合し、またうろちょろと。 僕はレールが安かった店に走り、カトーの4番ポイントを購入。今、伊藤家でホームに入る線路と、通過線の分岐点に主に使っています。
そして、東京駅に移動。 コインロッカーで、荷物を取り、お土産を買うなり、朝ごはん買うなり、飲み物買うなり、晩ごはんをたべるなりして時間を過ごします。僕は大丸のデパ地下でお土産を購入。 晩御飯は4人でそば屋に入り、そば屋なのに僕以外みんなカレーを食べていました。僕はそばを食べました。なかなかおいしい味でした。ただ、つゆの濃さは半端ない・・・。 入場券をわざわざ買った後、JR東日本の新幹線ホームへ。 短時間で大半の新幹線を撮影。(E3系のつばさ以外のすべて)このときくらいから、足がまともに動かないくらいに痛く感じていました。 その後、在来線ホームに戻り、サンライズエクスプレスと急行銀河を撮影。フラッシュ犯が多くいたのが、心に引っかかります。10番乗り場の銀河の電気機関車を撮影できなかったのが、残念でしたが…。でも、まあ、3月で廃止になった銀河を撮影できてよかったと思うべきですね。


銀河出発後、すぐ、今晩の宿、373系ムーンライトながらが到着。 5分程度で発車。けっこうすぐに寝た記憶があります。

5日目〜8月6日〜
豊橋付近で起床。 ここからほぼ各駅に停車し、始発列車の代わりをするムーンライトながら。 まず、座れないですね。始発の普通列車は本来地元の人が乗るものだろ!とこの電車に乗った人の叫びが聞こえてきそうでした。
大垣に到着。構内制限8km。ホームにありました。人に対しての標識…。乗り換えの醜い争いが行われます。乗り換えた列車は加古川行き、221系。 有無を言わず、混んでいました。でも、後ほどの地獄に比べれば・・・・。 そういえば、乗る時に、大塚先生・日下部組と山口先輩・上條先輩・伊藤組に分かれてしまいました。 後で合流できたから、いいのですが。。。。。
米原で、乗り換え。 223系12両新快速。 なんとか合流し、座れました。つか、長く座っているので、腰が…。腰の痛みと眠たかったのしか記憶が無いのです。

相生に到着。 ホーム真ん中のほうにやつはいた。 115系、3両。 新快速は12両でした。全ての座席が埋まり、かつ、かなりの立ち客がいました。その客の大半がこの列車にのり込むわけです。西鉄の朝の大橋〜薬院(8時前後の快急・急行)レベルです。それに大荷物ですよ。きついきつい。途中から乗ってくる地元の方が一番かわいそうでしたが。
岡山に到着。 昼食購入+四国行きの列車の撮影。2000系特急南風がいました。8000系しおかぜもいました。つか、次に乗る列車が発車する5・6番のりばは駅ビルのエアコンの室外機がぶち当たって暑いんです。しかも、キハ187もいて、ここだけ気温が無駄に高かったですよ。

ここから5時間、乗り換えなし。はっきり言いますと、寝ていたので記憶がありません。 ただ、車両が行きに乗車したモハ115―2007だったことだけです。
新山口で乗り換え。 ここのあたりで僕の携帯の電池がなくなりました。 下関で乗り換えて、いよいよ九州です。私たちの異常な気持ちとは裏腹に、415系は普通に関門トンネルとデットセクションを通過します。 門司で乗り換え。見慣れた813系の快速です。 そのままひたすら旅の終わりに向けて進むだけです。
博多に到着。 ここで、ビデオ撮影などをして、解散。 私はもう少しJRに世話になります。 二日市まではいつもの813系 5日前に入った改札を逆から通った瞬間、この楽しかった5日間の旅は終わった。 迎えにきてくれた車に乗って、帰宅。

感想といいますか・・・。 自分はまごころの参加はもちろん初めてです。この旅では自分のいったことのない場所にいくつも行くことができ、また、いろいろと経験したことのないことも経験することができました。 普通列車は遅いという人がいますが、1日目のように台風に追いかけられても、追いつかれなかったということで、まあ、決して遅くはないのです。というか、飛行機が速すぎるだけではないのでしょうか?飛行機は変わりゆく景色を見ることができぬままどこか知らないところについてしまう。新幹線の速さも景色をあまりみせてくれない。しかし、普通列車、鈍行は景色を見ながらどこかへ連れて行ってくれる。それに、景色とともにそこにいる人々の方言などの変化もわかる。いわば、その土地の様子を深く知ることが出来る。その違いは案外大きいのではないのでしょうか。飛行機なんかのスピードを全否定する気はないですが。 改めて、日本の良さ、旅の良さ、鉄道の良さを感じることができた旅でした。そう思います。
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