作者日下部圭

2008年3月31日(月)、日本から二つの路線が廃線となった。
それは、兵庫県の三木鉄道三木線と長崎県の島原鉄道南線である。そのうちの一つの島原鉄道の方に最終日乗りに行こうというのが3学期に決まった。最終電車を乗るか、最終電車を見送るかで最後迄悩んだが、結局は最終電車を見送る方式で固まった。
参加者は、顧問の大塚先生、上條先輩、伊藤、僕に加えて、コンピュータ同好会と合唱同好会を兼部している内田君も参加となった。大濠高校が3つ迄兼部出来るのなら、彼も入っていたかもしれない。今回、呉竹は中高一貫のキャンパス見学と日程が重なっていたため、やむを得ず不参加だった。勿論参加は「鉄」の方だけで、「プラ」部門は不参加となった。
これより本題に入りますが、事実と異なる場合もありますので、そのことについて指摘していただければ幸いです。

2008年3月31日(月)
12:00。春季補習が終わった。終わると同時に、急いで集合場所に行った。12:05、全員集合していた。そして、荷物を詰め込んでマニ塚号に乗り込んだ。そして、いざ島原へ。大抵の人が家路に急ぐ中、我々は車で校門を出た。普段車に乗って校門を出ることなんか無いので、少々気分が良かった。通りなれた道を通り、いざ西公園ランプへ。西鉄バスと同じようにETC搭載だった。やはりETC専用ゲートは空いていた。そこから、西九州自動車道諫早IC迄は信号が一つも無い。車内では、いろいろな話で盛り上がった。福岡都市高速を順調に通り、福岡空港を横目に、気付いたら九州自動車道に入っていた。九州道に入って10分たたないうちに高速基山・・・いや失礼、基山PAで休憩。先生はホテルの関係者にお土産を買っていた。宿泊料金を安くして頂いたため、当然である。九州道に戻るやいなや、宮地岳線の話になった。偶然にも、宮地岳線西鉄新宮〜津屋崎間の廃線と同じ日だった。この時代、利用者が少ないローカル線はどんどん廃線となっていく。鉄道が好きな人にとっては寂しい限りであろう。こうやってどこかが廃線になると、必ず鉄道マニアが写真を撮るためにその場所に行く。そのたびに悪質なマニアが出てくる。列車の番号が書いてあるプレートを盗んだり、サボ(現在で言う方向幕又はLED)を盗んだり、列車が通り過ぎた直後に線路に入って写真を撮ったり・・・。そんな人がいるから鉄道マニアのイメージが悪くなると言うことを分かってもらいたいものだ。3月14日に最終運転を終えたあかつきもプレートが盗まれた。このことに関して伊藤は、そのような人は鉄道マニアじゃないと断言している。僕もそうだと思う。そのうち、西九州道に入っていた。こちらは、本当にガラガラだった。当然、バスも少ない。佐賀市に直結している佐賀大和ICを過ぎれば、ほぼ貸切状態だった。それから、予習代わりというべきか、島原鉄道に関するDVDを見た。この意欲が勉強にも沸けばいいのだが・・・。


↑長崎道の様子。いかにガラガラかが分かるだろう。

それから、ほぼ定刻で諫早第一ホテルに着いた。そこでホテルの方に挨拶をして、本題の島原へ。と思ったその時、上條先輩がホテル代を予め先生に渡しているにも関わらず、また先生に4000円やっていた。先生へのお礼か、それとも・・・。まあ、こんな感じで車に乗り込んで、予定より1分早くホテルを出た。カーナビでは、島原迄は116km。116kmと言えば、直線距離で言うと福岡〜小倉を往復できる距離とほぼ同じである。考えれば、すごいものだ。町並みはというと、長崎市と似ていて、坂が多い。途中、渋滞している箇所は無かった。というより、交通量自体少なかった。ある程度行ったら、「大塚小」「大塚古墳」があった。睡魔が襲ってきたせいか、苦笑い程度で終わった。
ほぼ定刻に島原駅着く。天気は晴れ。撮影の際の逆光が不安だ。駅の中に同業者はあまりいない。スクール1000を僕らは買った。先生はスクール1000の年齢には当たらない。かわいそうなものだ(^^)  それはそれでいいとして、我々は島原駅のホームに行った。学生が多かった。それから数分後、向かい側に諫早行きが到着した。離合待ちをしていた。定刻になっても一向に諫早方面から電車が来る気配が無い。どうしたことか??結論から言えば、4分遅れで到着した。当然のように、座れなかった。まあ、ほんの3,4分なので座らなくてもいいか。そうこうするうちに終点の南島原に着く。行き先は加津佐だが、列車は変わる。南島原では、加津佐側の列車のドアしか開かない。当然のように人が群がった。ドアが開くやいなや、皆席取りのためにダッシュしていた。我々は一番後方に乗った。無事座れた。これからは、明日4月1日より定期運用に入らないキハ20系に乗る。2分遅れの1616で南島原を発車。人は意外に多い。この調子なら廃線にしないでもいいのではないか?

        
          ↑島原駅の駅舎。        ↑行先は加津佐、実際は南島原終点。

ここから1時間10分、皆思い思いの時間を過ごしていた。写真を撮ったり、音撮ったり、音楽聴いたり、絵を書いたり、地元の人と話したり・・・。すぐに、「秩父が浦に着きます。降り口は左側です。秩父が浦です。」というアナウンスが流れた。もうここでのこういうアナウンスを聞くことは一生出来ない。余談だが、言い回しがJR九州に似ていることに気が付いた。布津では、定刻1636だが、一向に諫早方面の電車が来ない。それをいいことに、我々は撮影を試みた。皆考えは同じで、駅に着くやいなや、電車から降り、電車を色んな角度から撮っていた。逆光の心配はあまり無かった。

        
↑布津での撮影。25分遅れになろうとは…  ↑加津佐での撮影。今では決して出来ない。

中から見て、地元の人がやたら写真を撮ったり手を振ったりしていたのが印象深かった。その中には勿論鉄道オタクもいたが、子供連れも少なからずいた。終点に近づくにつれ、海岸沿いを通っていく。すると、鉄道オタクらしき人が堤防に乗ってから写真を撮っていた。今時、鉄道に興味がある人は多い。ただその一方で2ちゃんねるを見る限り鉄道オタクを嫌っている人も少なからずいるみたいだ。その理由に、マナーが悪いとの声も多い。そのようなことを知らないで趣味を「鉄道」と堂々と言えるものだ。マナーを守って写真を撮っている人を見習ってほしいものだ。文句はこれで終いとして、話を戻そう。やっとのことで終点の加津佐に到着。しかし、定刻1724到着に対し、到着1748。しかも、この時間は折り返し島原方面行きの発車時間でもあった。本当に大丈夫なのだろうか・・・。ここで清水先輩と少し話しをした。でも、前述の通り到着時間が実際の発車時間であったので話をするのもほんの僅かだった。そこで問題が起きた。伊藤の鞄が消えたのである。急いで探した結果、すぐに見つかった。結論は、荷物を置いて場所取りさせないようにするために車掌が荷物を持っていったのだった。この考えは、正しいと思う。それから5分くらい経った1755、定刻より既に7分遅れで出発した。それから原城で離合待ちした。そこでは、線路への侵入者が出る騒ぎがあったり、男が女子高生に群がっていたりとまあ色々と大変であった。それから先に浦田観音では「サヨウナラ」と書いてある旗を掲げていた人も。いかに島原鉄道が愛されていたかが分かるものであった。南島原に到着。到着はしたものの、南島原到着は1912予定であったが、始発時刻が遅れていたせいか、南島原での接続は出来ない。そうなると、島原駅まで歩こうという案が即決まった。2qくらいだが、夜なので歩くことにおいて苦労は無かった。島原駅に本日2回目の到着。そこでは、加津佐行き最終電車を見送りに来たための人が大勢いた。ただ、それでも大塚先生は少ない方だと言っていた。入場開始となると、みな急いでいた。そうこうしているうちに最終電車が13分遅れてきた(先生が言うに、意図的に遅らした)。我々の本来の目的は、「最終電車を見送る」ことであったが、終点の加津佐駅での折り返し電車が無いせいか、人が少なかったので、急遽1駅間乗ることにした。我々は乗り込んで、立て札を出した。島鉄社長が挨拶をし、それから出発した。勿論、みな拍手をして見送っていた。我々は、一駅間だけ乗った。降りてからは、電車が見えなくなる迄見送っていた。何とも言えないものだ。それから再度島原駅に戻り、飯を食い、ホテルに戻った。車の中ではSDカードの話などで盛り上がっていた。ホテル着2230。それから色々して、1日目終了。みな疲れが溜まっていたせいか、すぐに夢の中へ・・・zZ

        
  ↑20:00頃の島原駅の様子。      ↑セレモニーの様子。

2008年4月1日(火)
みな、起きるのは早かった(伊藤は早いというべきなのか・・・)。出る支度をし、ホテルに挨拶をして、ホテルを出た。諫早市内は、朝の時間帯のせいか、少々混雑気味。遅れが心配された。だが、混雑はものの5分程度。スピードを上げたまま九州道・諫早PAへ。ここからは、西公園ランプまで信号は0。更に、長崎道は元から交通量が多くないので、順調すぎるくらいに進む。逆に怖いくらいであった。途中の大村湾SAで朝飯を兼ねて一旦立ち寄る。景色も良好、気分も良いまま再び長崎道に。まだ朝のせいか、誰一人寝ていなかった。途中、高速バスも真ん前に来て、僕だけは気分が良くなった(^▼^) と、東背振ICで早朝割引の関係上、一旦降りる。ものの見事にこの計画も成功し、再度福岡へ。途中、福岡都市高速でETCを通過出来ないというハプニングもあったが、予定より20分遅れで到着。それからは、みな家路へ。これにて、島原鉄道南目線に乗るためのまごころツアー29は終了した。
最後に このような経験は1回出来るかどうかなので、貴重なものになった。



      ↑大村湾PA。 展望台での眺めは良好だった。 

車両情報:9251佐賀↑マニ塚号から見た「わかくす号」福岡天神行。
ここでもこんな写真を出すなんて、僕はやっぱり「バス」派だな。


↑筑紫野(二日市温泉入口)バス停で撮影。
ここに停車するバスも相当なものに当たるので、事故が心配される。まず、このような場所に止めて良いのであろうか・・・ inserted by FC2 system