模型部3年 呉竹 景介
2009年3月14日のダイヤ改正でついに「はやぶさ・富士」の引退が決まった。個人的なことではあるが、私は「はやぶさ」と先に引退した「さくら」にはたくさんの思い出があった。まだ、幼かったころ祖父母の家が原田駅近かったので、休日家に行くたびに原田へ行って、待避線のそばでじーっとブルートレインが走って行くのを眺めていた。いつの間にか9時に「さくら」10時に「はやぶさ」が来ることが頭に焼きついてしまうほどに。こういうこともあってか、私は鉄道に興味を持つようになった。いわば、ブルートレインが私にとっての鉄道の原点でもあるのだ。そのブルートレインがついに九州から姿を消してしまう日がきたのだ。

 鉄道部門で3月13日の最後の東京行を見に行くというので、私も参加することにした。

発車30分前である17:00頃にホームに着いた。すでに2,3番ホームの小倉寄りには、たくさんの報道陣やマニアが集まっていた。伊藤と小林がNHKの取材を受けていた。私自身引退列車を見に行くのがはじめてだったので、人の数には圧倒された。時間が経つごとに人がどんどん増えてきた。入線間近になると、駅員だけでなく警察官も警備に当たっていた。強風が吹くなかでの入線となった。ED76-90のヘッドライトが見えるやいなや一斉にフラッシュが光った。ホームの長さに比べるとかなり短い編成で、14両だったころの勢いは無くなっているようだった。なんとなくさみしい気分になった。入線してからはあっという間に時間が過ぎ、もう出発時間になった。汽笛を2,3回鳴らしてゆっくり動きだした。見えなくなるまでフラッシュがやむことはなかった。帰ろうとしていると構内放送で赤間〜東郷の人身事故が発生したことがわかったので、見に来ていたOBの山橋先輩にどこで抑止をくらうか調べてもらった。千早であることがわかった。後続の普通は吉塚までしか運転できないことがわかった。みんな時間がなかったこともあり、おとなしくその日は引き上げることにした。私は汽笛を鳴らすシーンを動画で撮れなかったことが悔しかったが、見られたこと自体に満足していたので、次の日はもう行かないと決めた。

到着間近の2番ホーム

上り最終列車の出発


翌朝起きたのがちょうど「はやぶさ」の博多出発時刻だった。今日はゆっくり眠りたかったので見に行かないと自分に言い聞かせていたので、いつもどおりテレビをつけてパンを食べていた。すると、10:30のCUBE(TNC)のオープニングトークで下り「はやぶさ」は90分遅れで走り続けていることを耳にした。まだ見られると思い急いで駅に電話をかけ、「今どこを走行中ですか」と聞くと、「まだ九州に入っていないのでわかりません」と答えたので、これは何かの縁だと思い制服に着替えて博多に向かった。5番ホームには大塚先生も含めほとんどの部員が集まっていた。部員以外にも前日同様たくさんの人が見に来ていた。駅員が持つロープの位置から先頭の停止位置を推測しながら、なるべく人の少ない位置を選んで待った。駅員の持つ無線で「101分遅れで吉塚通過」と聞こえたので、ついに来たかと思いつつカメラの準備をした。
ED76-94のヘッドライトが見えた。「はやぶさ」はゆっくりと入線してきた。私の目の前がちょうど運転席になるくらいで止まった。やっと汽笛が撮れるので何となくうれしくなった。機関士同士のなにげない会話が交わされ、二人の機関士が乗り込むと発車ベルが鳴った。ここには、それぞれ、いろんな思いをもったギャラリーがいる。機関士が手を振り、信号が変わるといつも以上に長い汽笛が鳴らされ、ゆっくりと動き出した。「はやぶさ」の青い車体が見えなくなるまで目を離さなかった。もう見えなくなった。これで私の中にあるブルートレインが完全に思い出のものとなってしまった。

 子供の夢を運び続けてくれたブルートレイン「はやぶさ」ありがとう。引退後もいろんな形でがんばり続けてもらいたい。


目の前で止まったED76-94

博多をあとにする下り最終列車
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